プログラミングにおいてAIを使う場合高性能なパソコンは必要か?
時間のかかる処理。
・AIのコード生成待ち
・ファイルのコピー
・リポジトリの最新チェック(タイマー)
・画像ファイルの自動整理
・音源ファイルの自動整理や重複削除
・データのバックアップ など
こういった処理が終わると、Apple Watchに通知が届くアプリを作りました。
Watchがブルッと振動して知らせてくれる。
だから名前は BuL(ブル) です。
探せば同じようなアプリはあるのかもしれません。
でも、自分で作れば、本当に必要な機能をその都度どんどん組み込んでいけます。
それが、自作する一番のメリットだと思っています。
AIをプログラマーとして活用するうえで、最低限必要なことがあります。
・やりたいことを明確に指示できること。
・どうすれば実現できるかを自分自身が理解していること。
この二つは必須条件です。
「AIが全部やってくれる」と考えている人もいますが、それでは思い通りの結果にはなかなかなりません。
やろうと思えば自分でも作れる。
ただし、かなりの工数がかかる。
だからこそAIを使うのです。
人間が設計し、AIが高速に実装する。
その形になれば、今まで何日もかかっていた作業が短時間で終わることも珍しくありません。
AIはプログラミングを知らなくても使える魔法の道具ではありません。
プログラミングを理解している人ほど、その力を最大限に引き出せる道具なのです。
プログラムというものは、最終的にユーザーから見えるのは画面(UI)の部分だけです。
文字が読みやすく、レイアウトが整っていて、期待どおりに動作していれば、中でどのようなコードが書かれているかは見えません。
どれだけ無駄な処理があっても、どれだけ分かりにくいコメントが書かれていても、エンドユーザーには関係ありません。
困るのは、何か月後、何年後かにそのプログラムを修正する自分自身や、引き継いだ開発者ぐらいでした。
つまり、コードの美しさは開発者だけの問題だったのです。
ところが最近は、その常識が変わり始めています。
AIにプログラムを解析させる時代になり、今まで「見えなかった部分」が、とても重要になりました。
コードの構成や命名、そしてコメントまでもが、AIにとっては仕様書を補足する重要な情報になります。
分かりやすく整理されたコードほど、AIは正確に理解し、より適切な提案や修正を返してくれます。
逆に、場当たり的に書かれたコードや意味のないコメントは、そのままAIの判断材料になってしまいます。
ふと思い出したのが、Appleの創業者が「見えない部分にこそこだわるべきだ」と語っていたことです。
昔は自己満足だと思われることもあった、その考え方が、AIの時代になって新しい価値を持ち始めました。
長年、見えない部分を意識してプログラムを書いてきて、本当に良かったと、今あらためて感じています。
そして君の目の前にとてつもなく大きなチャンスがやって来ています。
今まで時間的にも工数的にも無理だったこと。
一人では到底できなかったこと。
そんなことが、無理ではなくなってきています。
もっとはっきり言いましょう。
もう、誰かに丸投げする必要が無くなったのです。
優秀な部下がいなくてもいい。
たくさんの人員がいなくてもいい。
そのための道具は、すでに目の前にあります。
そして、一番有利なのは君が若いということです。
失敗してもやり直す時間もある。
これから積み重ねる時間は、私たちよりもはるかに長い。
だから、どうか見逃さないでほしい。
今まで不可能だったことが可能になり始めています。
正面から正々堂々と戦って勝てる逆転のチャンス。
そのチャンスは今、君の目の前にある!
現在、25本のアプリを並行して開発・修正しています。
これは、AIなしでは到底不可能だったと思います。
一方で、AIの使い方や解釈を間違えると、
・仕事を失う
・技術力が衰える
・考える力が弱くなる
など、マイナスの方向に進んでしまう危険もあります。
では、しっかり学び、本当の使い方を理解した人までAIに仕事を奪われるのでしょうか。
それは正直、まだ分かりません。
しかし、一つだけはっきり思うことがあります。
学ばなかった人、変化についていけなかった人は、仕事も地位も失う可能性が十分にあるということです。
結局のところ、勉強をサボっている人には使いこなせません。
まだ誰でも使える時代ではありません。
そして、
「自分はAIを使えている」
そう思っていた人が、
「実は間違った使い方しかできていなかった」
と気付くこともあるのでしょう。
もっと怖いのは、
瀬戸際に立っている人ほど、自分が瀬戸際に立っていることに気付いていないということです。
気付いた時には、すでに大きな差がついている。
だからこそ、今は静かに学び続けるしかないのだと思います。
AIがどんどん発達し、失敗することが少なくなってくると、おそらく人間は考えなくなっていきます。
分からないことがあればAIに聞く。
迷ったらAIに決めてもらう。
文章も、絵も、音楽も、プログラムもAIに任せる。
便利になること自体は悪いことではありません。
しかし、本当に怖いのは、人間が考えることをやめてしまうことです。
特に、AIが当たり前の存在として育つ子供達はどうなるのでしょうか。
答えを探す前にAIに聞く。
自分で悩む前にAIに任せる。
そんな習慣が当たり前になれば、「考える力」そのものが育たなくなるかもしれません。
そして、考えなくなった子供達が大人になり社会の中心になった時、その影響が現れるまでそれほど時間はかからないはずです。
まるでSFアニメの世界のような話です。
しかし、それは遠い未来の話ではありません。
もう、そこまで来ています。
AIが人間を支配するのではなく、人間が自ら考えることを放棄していく。
その変化は静かで、便利さの中に紛れているため気付きにくいのです。
人間が終わる時とは、AIが人間を超えた時ではありません。
人間が、自分で考えることをやめた時。
それは突然訪れるものではなく、気付かないうちに少しずつ進んでいくものなのかもしれません。
だからこそ、AIを使いながらも、自分の頭で考えることだけは手放してはいけない。
そんな危機感を、私は強く感じています。
正直、驚きました。
そして同時に、少し反省もしています。
私はどこかで、
「まだそこまではできないだろう」
と思い込んでいたのかもしれません。
自分の知識や経験を基準にして、知らないうちに可能性に線を引いていたのでしょう。
しかし現実は、その想像を超える速さで進んでいました。
数か月前の常識が、もう古くなっている。
そんな時代になったのだと改めて感じています。
だからこそ、過去の知識だけで判断せず、
「今はどうなっているのか」
を自分自身で確かめ続けることが大切なのだと思います。
驚きと反省。
そして少しの期待。
まだまだ面白い時代になりそうです。
現時点では、「AIを作っているのは人間」です。
しかし、少しずつ状況は変わり始めています。
人間がAIを作る。
そのAIがプログラムを書き、設計を手伝い、テストを行い、さらに次のAIを作る手助けをする。
つまり、
「人間 → AI → 次のAI」
という流れがすでに始まっています。
そう考えると、
「AIを作っているのはAIか?」
という問いに対する答えは、
「まだ人間です。しかし、AIもAIを作る側に加わり始めている」
になるのでしょう。
数年後には、
「AIを作っているのはAIです」
と答える日が来るのかもしれません。
あるいは、その頃には「人間が作る」「AIが作る」という区別自体が曖昧になっているのかもしれません。
驚くべきことは、そんな未来の話だと思っていたことが、もう始まっているということです。